2019年5月、キプロスからレバノンへ飛行機で移動し、ベイルートを歩いて巡った。海岸の景色からローマ時代の遺構、宗教建築、近代的な港、美術館まで、短い距離の中に異なる時代の風景が続いていた。
到着後は、地図上ではAirbnbの宿までせいぜい6kmほどだったことと、心地のよい快晴だったことから、空港から徒歩で宿を目指した。ただ、ここで少し焦ることになった。宿の場所がどうやら間違っていたようで、スマートフォンの電池もそれほど残っておらず、Airbnb経由でホストにメッセージを送ってもなかなか返事が来なかった。近くの軍用設備にいた守衛さんに事情を話すと、ホストへ電話して場所を聞いてくれ、正しい住所を入手できた。少し時間はかかったが、なんとか宿にはたどり着いた。部屋では犬を飼っているらしく、少し犬のにおいがしたものの、許容範囲だった。その日は歩きっぱなしで疲れたため、早めに就寝した。
ベイルート旧市街散策
翌日は、まずRamlet Al Baidaのビーチへ向かった。ベイルートのメインビーチということだが、高台から見下ろした砂浜には人がそれほど多くなく、海岸線に沿って静かで緩やかな時間が流れていた。広い砂浜と青い海、海岸沿いに並ぶ建物が一緒に見渡せる景色で、都市の中にあるビーチらしい眺めだった。快晴の空の下では海の青さがよく目立ち、旧市街散策の出発点としても印象に残った。

海岸線を北上すると、ベイルートを代表する景観の一つであるRawshaに着いた。沖合には、鳩の形をした岩として知られる二つの石灰岩の岩塊が浮かんでいる。ラウシェ・ロック、あるいはピジョン・ロックスとも呼ばれ、ベイルート最西端の沖合に位置する自然の名所だという。一方は高さ約60m、もう一方は約40mとされ、実際に目の前にすると、海の中から大きな岩が立ち上がっている姿に強い存在感があった。岩の間には海水が通り抜ける大きな穴があり、周囲の青い海や岸壁、手前の草花まで含めて、街歩きの途中とは思えない景色になっていた。

海岸沿いを一通り歩いた後は旧市街方面へ進み、St. Elias Maronite Churchなどの特徴的な建物を眺めながら街を歩いた。教会は赤茶色の外壁と尖った屋根、正面の十字架が青空の下で目立っており、周囲には比較的新しい集合住宅や高層建築も見えていた。歴史を感じる教会が、車の行き交う都市の通りに自然に組み込まれているのがおもしろい。ベイルートは「東洋のパリ」と言われるそうだが、こうした建物の意匠と、明るく開けた街路の組み合わせには、その呼び方を意識させる華やかさがあった。

さらに北へ歩くと、次第に近代的なビル群が多くなっていった。海岸側にあるZaitunay Bayでは、多くのヨットが青い海の上に並び、旧市街とは違うベイルートの表情を見ることができた。港の周辺は広く整えられた歩道になっており、背後には高層ビルやホテルのような建物が立っている。海とヨット、現代的な建築がまとまった場所で、歴史地区を歩いてきた後だけに、都市の新しい側面がはっきり感じられた。

旧市街の中心地で目に入ったのがRoman Baths Beirutだった。古代ローマ時代の浴場遺跡が、現在の街の建物に囲まれた場所にそのまま残されている。1968〜1969年に発掘されたもので、かつてのベリュトゥス、つまりローマ時代のベイルートの一部だという。周囲には整備された建物や庭園がある一方、中央には崩れた石材や浴場の遺構が広がり、現代の都市の中に古代の時間が取り残されているように見えた。こうした遺跡が旧市街の中心に残っていること自体、ベイルートが重ねてきた歴史の厚さを感じさせるものだった。

Roman Baths Beirutのすぐ近くには、屋根の上にレバノン国旗を掲げたレバノン首相府がある。正式名称は「グランド・セライユ」で、1853年にオスマン帝国の兵舎として建てられた建物だという。フランス委任統治時代には高等弁務官庁として使われ、独立後の1943〜1952年には大統領府、1952年以降は首相府になった。丘の上に立つ厳めしい外観は、イスタンブールのセリミエ兵舎を思わせるともいわれる。階段の先に建つ建物と、周囲の石造りの壁や緑がつくる景観は重厚で、遺跡のすぐそばに現在の政治の中枢があることにも、街の歴史が連続している印象を受けた。

Place de l’Étoileを中心とした一帯はきれいに整備されていて、歩きやすかった。石造りの建物が並ぶ通りは、車道と歩道の区別もわかりやすく、旧市街の中でも落ち着いて散策できる場所だった。広場の名前は、そこから放射状に伸びる街路が星形を描くことに由来するという。レバノン国会議事堂にも隣接しており、1930年代に設置された4面時計付きの時計塔が広場のシンボルになっているそうだ。通りの両側にはアーチや石の外壁を持つ建物が並び、レバノンならではの雰囲気と整った都市景観が同居していた。

ベイルートを歩いていると、ふとした空き地に古代の柱が立っていることもあった。大きな遺跡公園として区切られているわけではなく、周囲に現代の建物や道路がある中で、何本もの石柱や崩れた遺構が残っている。一本だけ立つ柱、上部の装飾が残る柱、横たわる石材が一つの風景に入り込み、歩いている途中で突然古代に出会うような感覚がある。ベイルートの街のおもしろさは、歴史的な場所を目指して訪れなくても、日常の都市空間の中に過去の痕跡が現れるところだと思った。

Place de l’Étoile周辺からさらに歩くと、ベイルートの目玉の一つであるモハメド・アル・アミン・モスクが見えてきた。青いドームと4本のミナレットが青空に映え、周囲の建物の中でもひときわ大きな存在感を持っていた。通称は「ブルー・モスク」で、レバノン最大のモスクとされ、2008年に完成したという。ミナレットの高さは約65mあり、複数のドームはいずれも淡い青色のタイルで覆われている。石造りの外壁と淡い青色のドームの組み合わせは遠くからでも目立ち、歴史的な教会や遺跡を見てきた後でも、現代のベイルートを代表する建築として強く印象に残った。

ちょうどランチの時間を過ぎていたので、モスクの近くにあったピザ屋で昼食をとった。歩き続けていたところでの休憩も兼ねた食事で、久しぶりに食べるピザはおいしかった。木のテーブルの上に置かれたピザは何切れかに分けられており、トマトソースとチーズがのったシンプルな見た目だった。観光地らしい特別な料理というわけではないが、長い徒歩移動の途中で食べたものとして記憶に残っている。

その後は宿の方へ戻りながら、MIM Mineral Museumにも立ち寄った。ここにはさまざまな鉱石や化石の標本が展示されている。暗い展示空間の中で照明を受けた鉱石は色や形がそれぞれ異なり、これまで見たことのない美しい鉱石も多かった。街の建物や遺跡とは違う、地球そのものの時間を感じられる展示で、見ごたえがあった。展示ケースの中には鮮やかな色の鉱石が並び、黒っぽい母岩に紫色や白色の結晶が付いた標本なども見られた。旧市街の散策の締めくくりに、都市の歴史とは別の長い時間を眺められたのはよかった。

化石の展示では、薄い岩板に魚の形が残った標本も目にした。輪郭や骨格が岩の表面に浮かび上がっており、鉱石のきらびやかさとは異なる静かな見ごたえがあった。鉱石と化石の両方をまとめて見ることができるため、MIM Mineral Museumは、街歩きの途中に少し立ち寄るというより、展示そのものを目的にしてもよい場所だと感じた。

こうしてベイルート旧市街の散策を終えたが、東洋のパリと呼ばれるだけあって、ところどころに歴史が残り、街並みには華やかさも感じられた。海岸から旧市街、遺跡、モスク、博物館まで徒歩で巡ることができ、コンパクトな都市を歩いて楽しみたい人に向いていると思う。