2019年6月下旬、それまで訪れたことのなかった沖縄の離島をめぐるため、私は1か月ほど沖縄県に滞在することにした。最初の行き先が石垣島で、6月25日から28日までの2泊3日、市街地を中心に歩いた。
離島ターミナル周辺を歩く
空港から市街地まではバスですぐに着くほど島がコンパクトで、宿のチェックイン時間まで少し間があった。そこで石垣港離島ターミナル周辺を眺めながら過ごした。離島まで来ると、海の透明度が一段上がったように感じられ、それだけで気分が高揚する。港には竹富島、西表島、小浜島、黒島、波照間島など八重山の各島へ向かう高速船が何隻も停まり、晴天の下で濃い色の海面が光っていた。石垣港離島ターミナルは市街地の中心部にあり、ユーグレナモールまでは徒歩5分ほど。桟橋前には石垣島出身の具志堅用高のモニュメントも建っている。滞在の始まりに港を歩くと、この先に離島が続いていることを実感できた。

チェックイン後は、宿の近くにあったあさひ食堂で定食を食べた。料理はシンプルだがリーズナブルで、沖縄らしい味付けだった。ご飯や汁物、魚料理などが並ぶ食事は気取らず、店内には熱帯魚が泳ぐ水槽も置かれていた。個人店ならではの居心地の良さがあり、到着した日の食事として落ち着けた。

八重山権現堂と桃林寺
翌日は、具志堅用高記念館へ向かう途中で八重山権現堂と桃林寺に立ち寄った。瓦の形が沖縄らしく、本土で見る一般的な寺社仏閣とは違うつくりに思えた。八重山権現堂で最初に目に入るのは拝殿で、彩色を抑えた木造の簡素なつくりだった。奥の神殿には朱色が使われているという。桃林寺は参道の先に大きな瓦屋根の本堂が構えている。桃林寺と権現堂は、薩摩藩が尚寧王に寺社の建立を進言したことを受け、1614年(慶長19年)に同時に創建された。八重山で寺社が建立された始まりとされ、桃林寺は八重山最古の仏教寺院にあたる。
権現堂には熊野権現が勧請されており、切妻造りの薬医門、土間を取り込んだ拝殿、棟上の火焔宝珠や竜頭を備えた神殿が軸線上に並ぶ。1771年(明和8年)の明和の大津波で壊滅したが、1786年(天明6年)に再建された。沖縄に現存する最古級の木造建築として、1981年に国の重要文化財に指定されている。太平洋戦争で大破した後、1947年に修復された建物でもある。桃林寺の山門の左右に立つ仁王像は、現存する沖縄最古の木彫像で県指定有形文化財。明和の大津波で二体とも流されたものの、海岸に打ち上げられているところを見つけられ、後に修復されたという。実際に境内を歩くと、木肌をそのまま見せる拝殿、低く構えた瓦屋根、緑の多い静かな空間がそれぞれ落ち着いた表情を見せていた。


記念館へ行く前には、牛そばで有名なあらかわ食堂にも寄った。そばの上には大きな牛肉がごろごろと載っていて、肉はジューシーでとてもおいしかった。ご飯も頼んだので、食べ終わる頃にはかなり腹一杯になった。麺だけでなく、煮込まれた牛肉をしっかり味わえる一杯だった。

具志堅用高記念館
具志堅用高記念館は、あらかわ食堂のすぐ近くにあった。入口には、楽しそうにボクシングをする具志堅用高をモチーフにした看板が出ていて、場所が分かりやすい。具志堅用高は石垣市出身の元プロボクサーで、1976年にWBA世界ジュニアフライ級王座を獲得。その後、13度の連続防衛という当時の世界記録を樹立し、日本の世界チャンピオンとして現在も最多連続防衛記録にあたるという。最近はバラエティ番組で活躍している姿を見ることの方が多かったが、展示を見て、やはり素晴らしいボクサーだったのだとよく分かった。
館内には、当時使われたと思われるグローブやシューズ、サンドバッグなどが展示され、過去の名シーンの映像も流れていた。引退後に開設された記念館で、長く実父の具志堅用敬が館長を務め、その後は姉が運営を引き継いでいる。2015年6月に館内展示がリニューアルされ、1階には賞状、写真、新聞の切り抜き、トロフィーと売店、2階には実際に使用したガウン、グローブ、チャンピオンベルト、練習用リングが並ぶ。防衛戦の映像も常時上映されており、資料と実物、映像の組み合わせに充実感があった。リングと吊り下げられたサンドバッグを目の前にすると、テレビで見る人物とは違う、競技者としての足跡が具体的に伝わってきた。


カンムリワシとユーグレナモール
その後はホテル方面へ戻った。途中の地面には、石垣市の鳥であるカンムリワシの絵が描かれていた。タイルを組み合わせ、翼を大きく広げた姿を表現している。カンムリワシは国内では石垣島と西表島にのみ生息する猛禽で、1977年に国の特別天然記念物に指定され、環境省レッドリストでは絶滅危惧IA類とされている。石垣島の生息数は200羽ほどと見られ、全長は約55センチ。興奮すると後頭部の羽毛が逆立ち、冠のように見えることが名前の由来だという。石垣市が市の鳥に定めたのも1977年10月だった。具志堅用高が1976年の世界王座獲得直後のインタビューで、八重山語で「俺はカンムリワシになりたい」という意味の「わんやカンムリワシにないん」と語ったことから、彼の愛称としても全国的に知られるようになった。八重山では幼鳥を羽色の美しさから「あやぱに(綾羽)」と呼び、民謡「鷲ぬ鳥節」にも歌われている。街の足元に描かれた一枚から、島の自然と人物、文化のつながりが見えた。

翌日は与那国島への出発日だった。空いている時間にはユーグレナモールで少し時間をつぶし、石垣島での最後の時間を過ごした。ユーグレナモールは中央通りと銀座通りの2本からなる日本最南端のアーケード商店街で、土産物店、飲食店、雑貨店など100店舗以上が並ぶ。旧称は「あやぱにモール」で、2010年に株式会社ユーグレナが命名権を取得して現在の名称になった。中央通りと銀座通りの間には「石垣島の台所」と呼ばれる石垣市公設市場があり、地元客の利用も多い。アーケードの天井には空や生き物が描かれ、明るい光が通りに落ちていた。雨の日でも歩きやすい構造なので、買い物だけでなく、出発前の散策にも向いている。短い滞在だったが、機会があれば石垣島で1か月くらい過ごしてみたいと思う。
