この日は比較的早めの時間に起き、エルサレム旧市街の東側からキドロンの谷、オリーブ山へ向かって歩いた。嘆きの壁から古代の水路、墓所、教会まで、死・埋葬・復活・終末に関わる場所が続き、歴史と宗教の密度が高い一日になった。
最初に訪れたのは嘆きの壁だった。壁の前では信者の方などが手を当てて祈っており、観光地というよりも、今も祈りの場として使われていることが強く伝わってきた。入口では貸し出し用のキッパが配られていて、訪問者はユダヤ教徒かどうかを問わず、頭を直接神に向けないよう着用を求められる。私もキッパをかぶり、壁に手を当ててみた。壁面は大小の石が積み重なり、ところどころの隙間から草が伸びていた。広場にはまだ余裕があったものの、時間がたつにつれて人がどんどん増えていった。紀元前965年頃にソロモン王が建てた神殿の外壁の一部で、紀元70年にローマ帝国が神殿を破壊した後、唯一残った壁とされる。地上部分だけでも高さ約19〜21m、長さ約57〜60mあり、地下にも続くため全長は490mに及ぶとされ、約2000年にわたってユダヤ人の精神的な故郷となってきた場所である。少し暑かったので、近くの給水所で水分を補給してから先へ進んだ。

給水所は石造りの広場の一角にあり、中央の台座を囲むように複数の蛇口と金属製のカップが置かれていた。周囲では人が行き交い、壁へ向かう通路にも列ができていた。

嘆きの壁の広場からは、金色のドームや城壁の一部も見えた。旧市街の石造りの建物が重なり、その中にアル=アクサー・モスクの存在感が加わっている。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教に関わる場所が近い範囲に集まっていることを、歩き始めてすぐに感じた。

次に南下して、City of Davidへ向かった。ダビデの町はエルサレム旧市街のすぐ南に位置する考古学公園で、ダビデ王やソロモン王の時代の遺跡が発見されている。入口の石壁にはヘブライ語と英語で名称が刻まれ、上には赤い花が咲いていた。少し高台にあるため、入口付近からは庭園とエルサレムの街を見渡せる。

斜面に白い建物が密集した景色は、緑地の向こうに旧市街の城壁まで見通せ、私が考えていたエルサレムらしさに近かった。

園内に入ると、らせん状の階段を下り、どんどん地下へ降下していく構造になっていた。地下には青色の展示用ライトに照らされた場所があり、岩肌の凹凸が青く浮かび上がっていた。外の強い日差しから離れると空気は涼しく、階段を下りる感覚も含めて、地上の遺跡を見るのとは違う体験だった。

その先には、岩をくり抜いたような空間が続いていた。周囲は石と岩の壁に囲まれており、地中深くにいることが分かる。足元の水音や反響する声も相まって、古代の水利施設へ入っていく雰囲気が展示以上に強調されていた。

細長い地下通路や水路も歩いた。天井が低く、両側を粗い石壁に挟まれた通路は、足元を確かめながら進む必要がある。ギホンの泉は古代エルサレムの主要な水源だったが、キデロンの谷側の低い場所にあったため、敵に包囲されたときに水を取りに出るのは危険だった。そのため都市内部から地下を通って泉へアクセスできる仕組みが作られたという。ヒゼキヤ王がアッシリアの脅威に備えて掘った全長533mのトンネルによって、泉の水は城壁内のシロアムの池まで引かれたとされる。約3800年前から存在する水利施設のエリアを歩いていると思うと、悠久の時の流れの一端に自分もいるのだと、少し感慨深くなった。

City of Davidを出て少し歩くと、三角形の旗に六芒星のマークが描かれた広場に出た。中央付近にはダビデのハープのモニュメントもあり、ダビデの町を見た後だけに、この地らしい意匠として目に留まった。ここから旧市街東側の道路を歩くと、城壁や遺構の向こうにアル=アクサー・モスクが見え、イスラム建築の存在感が続いていた。

さらに進むと、石造りの遺構と階段が足元に広がっていた。発掘によって層状に露出した石組みは、地表からの深さがそのまま年代の古さを物語っているようで、どこまでが元々の地面だったのか見当がつかなかった。

少し北上して、Zecharias’ Tombにたどり着いた。三角形の岩の屋根を持つ記念碑で、下から見上げると周囲の岩壁に挟まれて立っているため、実際の大きさ以上に大きく感じられた。内部には当時そのままのような岩の空洞があり、部屋のような形になっていた。これはキドロンの谷にある第二神殿時代、紀元1世紀頃の記念碑で、岩を丸ごと削り出した一枚岩のピラミッド型屋根が特徴とされる。内部に埋葬室はなく、実際の墓ではなく記念碑、セノタフと考えられている。墓という名前から想像する地下の埋葬施設とは違い、岩そのものを加工した外観が中心だった。

空洞の奥は思いのほかひんやりとしていて、ノミの跡らしき凹凸が岩肌のあちこちに残っていた。二千年前の職人の手作業がそのまま残る質感に、実際に触れて確かめたくなった。

すぐそばには、ダビデの息子アブサロムの墓とされるAbsalom’s Tombがあった。巨大な円柱と屋根のような構造が独特で、Zecharias’ Tombとは違う堂々とした姿をしている。高さは約20mあり、下部は岩壁から切り出した立方体状の一枚岩、上部は切石を積んだ円錐屋根という二段構成になっており、下から見上げると建材の継ぎ目まではっきり分かった。キドロンの谷の近くには多数の墓地があるが、その中でもとりわけ大きく目立つ墓がこの二つだった。

丘を登るにつれて、エルサレム旧市街を見渡せる場所に多数のユダヤ教徒の墓が並んでいるのが見えてきた。白っぽい墓石が斜面を埋めるように続き、その向こうには旧市街の城壁や金色のドームがある。オリーブ山東側斜面には、終末の日にメシアがオリーブ山に降り立ち、死者が復活すると信じられていることから、古くから多数のユダヤ教徒の墓が集まっているという。墓地の広がりを実際に眺めると、宗教上の信仰とこの丘の景観が結びついていることが分かりやすかった。

オリーブ山をさらに上ると、Tomb Of The Prophetsの看板が見えてきた。入口は植物に囲まれた簡素な場所で、外からは大きな施設には見えない。中に入ると岩でできた空間が広がり、相当な歴史を感じさせる造りだった。暗い岩の中にろうそくが並べられている場所があり、明かりが周囲の岩肌をわずかに照らしていた。外の乾いた明るさから地下の薄暗い空間へ移る落差が印象に残った。

ろうそくは岩の天井に近い場所でまとまって灯されており、暗闇の中で小さな炎だけが浮かんでいた。蝋の垂れた跡が幾重にも重なり、長年にわたって同じ場所で灯され続けてきたことがうかがえた。

Tomb Of The Prophetsからの眺めはよく、エルサレム旧市街を一望することができた。城壁の内側に建物が密集し、遠くには金色のドームや市街地の高層建物まで見える。岩窟の静けさと、眼下に広がる都市の大きさが対照的で、オリーブ山を歩く中でも特に印象に残る眺望だった。

さらに山を登ると、Chapel of the Ascensionに着いた。円形の小さいドームを載せた建物で、外観は周囲の石壁に囲まれた簡素な礼拝堂という印象だった。内部にはイエスの足跡とされるものが残された石板があり、歴史的な重要性を感じた。西暦384年頃、敬虔なローマの女性ポイメニアの寄進によるビザンチン様式の教会が起源とされるが、1187年のエルサレム陥落後にモスクへ改修されたという。サラディンが好意で教会機能を維持することを認めたため、現在も内部にはイスラムの礼拝方向を示すミフラーブが残っている。キリスト教とイスラム教の双方にとっての聖地という点が、この小さな建物の複雑な歴史を表していた。

内部の石板には、足の形に見えるくぼみが残されていた。信仰に基づく場所ではあるが、目の前に石板そのものがあることで、伝承が具体的な形を持って残っていることを感じた。

その後は旧市街方面へ戻りつつ、ゲッセマネ付近にあるChurch of All Nationsを訪れた。外観はモザイク画で覆われ、石造りの柱や彫像とともに、明るい空の下でもひときわ目立っていた。万国民の教会、別名「苦悶の教会」と呼ばれ、4世紀にテオドシウス1世が建てた教会を起源とする。現在の建物は、世界12カ国からの献金によって1919〜1925年に再建されたものだという。外壁の大きな宗教画を見ただけでも、この場所が単なる礼拝施設ではなく、聖書の出来事を記念するための教会であることが伝わってきた。

内部は照明を落とした落ち着いた空間で、天井から多くのランプが下がり、壁際には宗教画や装飾が並んでいた。祭壇前には、イエスが処刑前夜に苦悶しながら祈ったとされる岩が置かれ、周囲では手を伸ばして祈る人の姿もあった。ビザンチン様式のモザイクは「苦悶のキリスト」「ユダの接吻」「イエスの逮捕」の3場面で構成され、青を基調にした星空のような天井が、暗い堂内をいっそう印象的にしていた。

最後に、すぐ近くにある聖母マリア永眠教会を訪れた。マリアの墓があるとされる教会で、地上の入口は装飾を抑えた石造りのアーチだった。5世紀にビザンチン様式の教会が建てられたものの、614年にペルシア軍によって破壊され、1130年に十字軍が再建した。その後、1187年に上部構造はサラディンによって破壊されたが、地下の埋葬室部分は残ったという。東方教会の伝承ではイエスの母マリアが埋葬された場所とされ、地下にはマリアの両親アンナとヨアキムの墓とされるものもある。1757年の宗教間合意による「現状維持」原則のもと、現在はギリシャ正教会とアルメニア使徒教会が共同管理している。

内部から地下へつながる階段を下りると、石造りのアーチが連なる通路が現れた。外から見たときの簡素さと、地下へ入った後の薄暗さの対比が大きく、天井の低いアーチが奥へ奥へと続いていた。

通路の先には礼拝空間が広がり、吊り下げられたランプが足元や壁を優しく照らしていた。旧市街や万国民の教会で見てきた金色のモザイクとは違い、装飾を抑えた石とランプだけの空間が、この教会ならではの静けさをつくっていた。

旧市街からCity of David、キドロンの谷を経てオリーブ山まで歩くことで、死、埋葬、復活、終末など聖書の出来事に関係する場所を集中的に見ることができ、非常に密度の高い一日になった。こうした場所を徒歩で巡れるエルサレムは、歴史を実感しながら歩きたい人に向いていると感じた。