wanderworld

上越めぐり(五智国分寺・春日山城跡・高田城・浄興寺)

カテゴリ:史跡・神社仏閣訪問時期:2025年5月5月の気候: 12.1〜20.9℃ / 降水 152.9mm(雨13.2日)関連スポット:五智国分寺五智公園展望台春日山城跡ものがたり館春日神社春日山神社春日山城跡高田城 三重櫓真宗浄興寺派本山 浄興寺
上越めぐり(五智国分寺・春日山城跡・高田城・浄興寺)
木々に囲まれた毘沙門堂

佐渡市からフェリーで上越市に着いた日は、少し寒かったのでラーメンを食べてホテルへ直行した。翌朝は早めに起き、駅前の直江津庵で名物のもずくそばを食べた。出汁がきいていて美味しく、健康的でもあるので、この日のように沢山歩く予定にはちょうどよかった。

朝食のそばは、もずくのほかに卵やねぎなどがのった温かい一杯だった。木のテーブルと黒い盆の上に置かれた丼からは、朝の散策に向けて体を整えるような落ち着きも感じた。

もずくそばの朝食
もずくそばの朝食

五智国分寺

最初にバスで向かったのは五智国分寺。仁王門には「五智如来」の旗が掲げられており、境内へ続く入口からすでに立派な雰囲気があった。少し歩くと白い三重塔が見えてくる。本堂も周囲の木々と調和し、静寂の中にたたずんでいた。五智国分寺は、天平13年(741年)に聖武天皇の詔によって建立された越後国分寺の後継寺院で、寺伝では永禄5年(1562年)に上杉謙信が現在地へ移転・再興したとされる。本尊が五智如来であることから、五智国分寺と呼ばれている。境内では、安政3年(1856年)に再建工事が始まり、慶応元年(1865年)に上棟された三重塔が特に目を引いた。上越地方で唯一残る塔だが、高欄がなく未完成のまま現在に至っている。天保6年(1835年)建立の仁王門も市指定文化財として残っている。

五智如来の仁王門
五智如来の仁王門

三重塔は近くから見上げると、各層の屋根や組物が重なり、白と灰色を基調にした姿がよく分かる。本堂には赤い幡のような仏具が並び、木造の大きな建物と境内の緑が落ち着いた景観をつくっていた。由緒を知ってから歩くと、長い歴史を持つ寺院であることを実感しやすい。

五智国分寺の三重塔
五智国分寺の三重塔
五智国分寺の本堂
五智国分寺の本堂

五智公園展望台

五智国分寺を出て西へ向かい、五智公園を進んだ先に展望台があった。展望台は木々に囲まれた簡素な造りで、階段を上がると視界が開ける。訪れた日は曇っていたものの、手前の緑の濃い山並み、その先に広がる街、さらに海へ続く景色を見渡せた。空と海の境目は少し霞んでいたが、街と海のコントラストは美しく、寺を見た後の散策の区切りにもなった。

五智公園の展望台
五智公園の展望台
曇天の海と市街
曇天の海と市街

春日山城跡ものがたり館・春日神社

公園を出て南下すると、春日山城跡ものがたり館があったので立ち寄った。春日山城史跡広場に隣接する小さな歴史資料館で、木造の建物の前には花壇やベンチがあり、周囲には田や木立も見えていた。館内では上杉謙信にまつわる歴史などのビデオが上映されていて、これから春日山周辺を歩く前の予備知識を得ることができた。入場料が無料だったのもよかった。規模は大きくないが、城跡を見るだけでは分かりにくい背景を映像で学べるため、春日山城跡と合わせて訪れると内容をつかみやすい場所だと思う。

春日山城跡ものがたり館
春日山城跡ものがたり館

春日山城史跡広場を抜けて少し進むと、赤い鳥居と白い鳥居が見え、階段を少し上った先に春日神社があった。住宅の間を通る赤い鳥居から始まり、木々の中の石造りの鳥居へと景色が変わっていく。境内の社殿は新しく整えられているが、創建は奈良時代とされており、非常に長い歴史を持つ。春日神社は春日山城の名称の由来となった神社で、奈良の春日大社から分霊を祀っている。現在の春日山頂に鎮座してから約500年、現在地へ遷座してから約600年の歴史があるとされる。建物自体は再建されているものの、春日山の名前の由来になるほど、昔からこの地域で大切にされてきた神社なのだろうと感じた。

赤い鳥居の春日神社
赤い鳥居の春日神社
木立の中の石鳥居
木立の中の石鳥居
春日神社の社殿
春日神社の社殿

春日山神社・毘沙門堂・春日山城跡

その後に向かったのは、名前が似ているものの全く別物の春日山神社だった。神社へ向かう階段の両側には白い旗が掲げられており、場所が分かりやすい。長い階段を上った先の境内には、獅子像が左右に置かれ、神社の手前には小さめの上杉謙信像もあった。春日山神社は明治34年(1901年)に、旧高田藩士で童話作家・小川未明の父でもある小川澄晴が、山形県米沢市の上杉神社から分霊して創建した神社で、日本近代郵便の父・前島密も創建を援助したと伝わる。春日山城に近く、上杉謙信を祀る神社であるためか、知名度は高いようだった。社殿は木々に囲まれ、古い山の景観の中に整えられている。

春日山神社へ続く階段
春日山神社へ続く階段
春日山神社の社殿
春日山神社の社殿

春日山神社を抜けて山道を登ると、上杉謙信が深く信仰したとされる毘沙門堂が見えてくる。毘沙門堂は昭和6年(1931年)に復元されたもので、謙信が籠って祈願したとされる場所である。お堂の前で謙信公が諸将に誓いを立てさせたという話もあり、山中の一つの建物として見る以上に歴史的な意味を感じた。

木々に囲まれた毘沙門堂
木々に囲まれた毘沙門堂

さらに上へ進むと春日山城跡にたどり着く。春日山城は南北朝時代に越後守護上杉氏が築いたとされる山城で、1935年に国の史跡に指定され、日本百名城にも数えられている。城跡には建物が残っているわけではないが、標柱の立つ土の広場や木々に囲まれた道から、山城の地形を体でたどることができる。頂上付近からは、登ってきた山々と街並みを広く見渡せた。現在とは違う風景であっても、上杉謙信もここから周囲を眺め、戦略を考えていたのだろうと思った。

春日山からの市街展望
春日山からの市街展望
春日山城跡の標柱
春日山城跡の標柱

山の散策を終えて来た道を戻り、少しルートを変えると、木々の中に上杉謙信の銅像が見えてきた。凛々しい姿で立つ銅像は、周囲の松や緑に囲まれていることもあり、さながら本物のような存在感があった。境内の銅像は昭和44年(1969年)に彫刻家・滝川毘堂が制作したものだという。春日山神社、毘沙門堂、城跡、銅像を続けて歩くと、謙信にまつわる場所が山全体に広がっていることが分かる。階段や山道を歩く距離はあるので、五智公園から続けて回る場合は、歩くことを前提にした方がよい。

木立の中の謙信像
木立の中の謙信像

高田城・高田世界館

春日山周辺を歩き終えた後は、バスで高田城の方へ向かった。高田城では二重の堀が現存しているのが珍しく、堀に囲まれた極楽橋から高田城址へ向かうルートもよく整備されていて、歩いていて雰囲気があった。橋の両側に広がる水面や植栽を眺めながら進むと、城跡公園としての落ち着きがある。高田城は慶長19年(1614年)に松平忠輝によって築城された城で、現在はそのシンボルである三重櫓が美しく再建されている。三重櫓は上越市発足20周年記念事業として再建されたものだが、堀と緑を背景にした姿は景観によくなじんでいた。

高田城址の極楽橋
高田城址の極楽橋
堀越しの高田城櫓
堀越しの高田城櫓

高田城の後は、旧陸軍第13師団長官舎にも足を運び、その後、日本最古の映画館である高田世界館へ向かった。高田世界館は明治44年(1911年)に芝居小屋「高田座」として開業し、その後映画館へ転身した建物で、現在も営業を続ける日本最古級の現役映画館として知られている。入口には「since 1911 日本最古の映画館」と書かれた看板があり、白い外壁の通路や木製の扉には長く使われてきた建物らしい雰囲気が残っていた。国の登録有形文化財、近代化産業遺産にも登録されている。城跡の水堀や櫓とは異なる、町なかに残る近代の歴史を見られる場所だった。この日は高田駅前の富寿し 高田駅前店で寿司も食べ、歩き続けた一日の食事を締めくくった。

高田世界館の入口
高田世界館の入口

浄興寺

最後に訪れたのが、親鸞聖人や上杉謙信ゆかりの浄興寺だった。風情のある山門をくぐると、塀に囲まれた参道の先に立派な本堂が見える。広い境内には木々や手入れされた植栽があり、大きな本堂の屋根と落ち着いた空間が印象に残った。浄興寺は浄土真宗の開祖・親鸞が常陸国、現在の茨城県に開いた草庵を起源とする寺院で、天正年間(1573〜92年)に上杉氏の招きで越後へ移り、高田城築城に伴って現在地へ移転した。本堂は江戸初期の建立で、県内の寺院建築では最大・最古の真宗本堂として国の重要文化財に指定されている。境内には親鸞聖人の頂骨を納めた本廟もある。山門、参道、本堂を順に見ることで、寺院の歴史と規模を実感できた。

浄興寺の山門
浄興寺の山門
浄興寺の大本堂
浄興寺の大本堂

こうして新潟の旅を終えたが、神社仏閣や史跡、新鮮な魚介類、たれかつなどのご当地グルメ、歴史ある酒造の絶品の日本酒、佐渡島をめぐる歴史など、見どころは多かった。今回は行けなかった柏崎市や長岡市にも、次に訪れる機会があれば足を延ばしたい。上越めぐりは、長い距離を歩きながら地域の歴史をたどりたい人に向いていると思う。

地図を見る