2020年3月下旬、浜名湖周辺をサイクリングするついでに、まだ訪れたことのなかった湖西市方面を散策した。東海道五十三次の拠点として知られる宿場町があり、浜名湖と街道の歴史を続けて見られる行程だった。綺麗な花壇に囲まれた看板には「ようこそ関所と湖の町・湖西市へ」とあり、これから始まる歴史探索への期待が膨らんだ。

新居関所
最初に向かったのは新居関所だった。広々とした庭は綺麗に整えられていて、中央には江戸時代から残るとされる面番所が建っている。役所らしい質素で実用的な造りだが、建物の外観や周囲の空間から、かつてここで街道の往来を管理していたことが伝わってくる。正式には「今切関所」と呼ばれ、東海道の中でも特に往来の多かった舞坂宿と新居宿の間に置かれた関所である。


入口付近の大きな案内や「新居関所」と記された標柱を見ると、現在も史跡として整備されている場所だという実感があった。関所は1600年、慶長5年に徳川家康によって設置され、「入り鉄砲と出女」の取り締まりを担ったという。現存する面番所は、1854年の嘉永7年の地震で倒壊した後、1858年の安政5年までに再建されたものだそうだ。主要街道の関所建物として全国で唯一現存し、1921年に史跡、1955年には国の特別史跡に指定されている。

面番所の中には当時の人物を体現した人形が置かれ、畳敷きの内部に並ぶ人形や道具から、検査の場面を具体的に想像できた。説明だけでなく、そこに人が座っていることで、関所が制度上の名称ではなく、実際に旅人を確認する場所だったことが感じられる。庭を隔てて見る建物も落ち着いた佇まいで、現代の街並みの中に残る歴史の重さがあった。





旅籠紀伊国屋資料館
次に訪れたのは旅籠紀伊国屋資料館である。入口では人形の福助さんが出迎えてくれ、木の案内板にも味があった。紀伊国屋は新居宿にあった紀州藩、現在の和歌山県の御用宿で、創業時期ははっきりしないものの、紀州出身の主人が江戸初期に新居へ移り住み、茶屋を営んだのが始まりとされる。元禄16年、1703年には徳川御三家の紀州藩の御用宿となり、1716年の正徳6年には「紀伊国屋」の屋号を掲げた。

その後は20以上の大名家からも御用宿に指定され、新居宿最大規模の旅籠として栄えた。昭和戦後まで約250年間旅館業を営み、2002年には市の指定有形文化財となっている。客の間には保存状態のよい当時の家具などが展示されていた。資料を追うだけでなく、実際の部屋の広さや木造の造りを見ながら歩けるため、宿場町の旅籠がどのような場所だったのかを身近に考えられた。

庭には丁寧に整えられた松の木や石灯籠があり、静かで気持ちの落ち着く空間だった。日光の入る小上がりには座布団が置かれ、旅人がここでお茶を飲みながらくつろいでいた情景が浮かんだ。外から差し込む光と木の床、庭の石や植栽の組み合わせが印象に残り、展示物だけでなく、建物そのものの雰囲気も楽しめる資料館だった。





街道や宿場の成り立ちを実物の建物と展示からじっくりたどりたい人に向いた、湖西市で組み合わせやすい歴史散策だと思う。