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長崎市 眼鏡橋と平和公園・原爆資料館

カテゴリ:史跡・平和学習訪問時期:2026年5月5月の気候: 16〜23.4℃ / 降水 231.5mm(雨9.8日)関連スポット:眼鏡橋原子爆弾落下中心地碑平和の泉平和祈念像カトリック浦上教会(浦上天主堂)長崎原爆資料館出島
長崎市 眼鏡橋と平和公園・原爆資料館
雨の平和祈念像

五島市からフェリーに揺られて長崎市へ入り、夜遅くの到着だったため、事前に予約していた快活クラブで一泊した。2000円と少しで個室ブースを使え、ソフトクリームが食べ放題、ドリンクも飲み放題なのはありがたかった。昔からネットカフェをよく使ってきた私には、大手チェーンでは快活クラブが安定して使いやすい印象がある。ただ、薄い壁越しに音が聞こえるため、耳栓は欠かせない。いつも通り普通に就寝し、翌朝を迎えた。

朝は少し雨が降っていたものの、傘を差せる程度で観光に支障はなかった。この日の目的地は原爆資料館で、市役所駅の方面へ向かう途中に眼鏡橋へ立ち寄った。1634年(寛永11年)、興福寺の2代目住職だった唐僧・黙子如定が架けたとされる現存する日本最古のアーチ型石橋で、東京の日本橋、山口の錦帯橋と並ぶ日本三名橋の一つでもある。1960年には国の重要文化財に指定され、1982年の長崎大水害で一部が崩壊したが、翌年に復元された。川の両岸は石積みで整えられ、雨に濡れた水面に橋のアーチが映っていた。真横から見ると本当に眼鏡のようで、均整の取れた姿がこの周辺のシンボルになっていることも納得できた。

雨の眼鏡橋
雨の眼鏡橋

駅からトラムに揺られ、平和公園停留場駅で降りた。まずすぐそばの爆心地公園へ向かった。公園には原子爆弾落下中心地碑が立ち、周囲には当時から残るものと思われる壁なども見られた。1945年8月9日午前11時2分、この上空約500メートルで原子爆弾が爆発し、73,800人が死亡、76,700人が負傷したとされる。爆発直後の地表温度は約3000〜4000度に達したという。現在の黒御影石の碑は高さ6.6メートルの三角柱で、1968年に建て替えられたものだ。雨の中で碑を見ていると、街の中にある現在の風景と、ここで起きた出来事との距離を考えさせられた。

原爆落下中心碑
原爆落下中心碑

爆心地公園の碑は、緑の芝生と木々に囲まれた静かな場所に立っていた。周囲の整った遊歩道やベンチだけを見れば穏やかな公園だが、ここが爆発の中心地だったという事実を知ると、同じ風景の見え方が変わる。当時の状況を回顧するという言葉がそのまま当てはまり、単に史跡を見るだけではない重さがあった。

対面の平和公園では、入口にある円形の噴水と石碑が印象に残った。石碑には「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」と記されている。水を求めて亡くなった被爆者の霊を慰め、世界恒久平和を祈念するため、1969年(昭和44年)に完成した噴水で、直径は約18メートルある。現在は水の豊かさにあふれている長崎で、一発の爆弾によってすべてが変わってしまったことを、短い文章から強く感じた。雨の公園で水が絶えず噴き上がる様子も、碑文の内容と重なって見えた。

平和の泉
平和の泉

公園の奥に進むと、平和祈念像が見えてくる。彫刻家・北村西望の作で、1955年8月8日に除幕された。高さは台座を含めて13.6メートル、像自体は9.7メートル、重さは約30トンの青銅像である。天を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、閉じた瞼は原爆犠牲者への冥福を意味しているという。訪れた日は雨で、像の前の広場には傘を差した人が立っていた。濡れた石の床に像や傘の姿が映り、明るい晴天とは違う、静かに考えるための空気があった。「核兵器への警鐘」「犠牲者への祈り」「世界平和への願い」を表す像だという説明を踏まえると、正面から見上げたときの右手と左手の意味がより具体的に感じられた。

雨の平和祈念像
雨の平和祈念像

平和公園から東へ向かうと、浦上天主堂が見えてくる。1895年に着工し、1914年に献堂、1925年には鉄川与助設計の双塔が完成した、当時は東洋一とも言われたレンガ造りの大聖堂だった。1945年の原爆によってわずかな堂壁を残して倒壊し、1959年に鉄筋コンクリートで再建、1980年にはレンガタイルで改装され、当時の姿に似せて復元されている。正面に立つ2本の塔は高く、茶色の外壁と中央の円窓が印象的だった。すぐそばには原爆落下時から残る旧浦上天主堂の鐘楼も保存されている。直径5.5メートル、推定約50トンの鉄筋コンクリート製で、爆風によって天主堂北側の崖下まで滑落したものだという。美しく復元された教会と、崖沿いに残る鐘楼を続けて見ることで、失われた建物の規模と被爆の実相が同時に伝わってきた。

浦上天主堂正面
浦上天主堂正面

旧鐘楼は、周囲の住宅や道路に囲まれた斜面にあり、観光施設らしい整然とした景観とは異なる姿で残されていた。崩れたようなコンクリートや赤黒い部分に植物が入り込み、時間の経過も見える。それでも、爆風で移動した構造物がその場所に保存されているという事実は重い。浦上天主堂が再建され、現在も信仰の場として立っている一方で、鐘楼は被爆当時の力を物理的に伝える遺構になっていた。

旧鐘楼の被爆遺構
旧鐘楼の被爆遺構

今回の主目的だった原爆資料館では、当時の歴史をさまざまな資料とともに振り返った。展示を見ている間、こういった機会がなければ普段はなかなか考えることもない出来事だと思ったが、忘れてはならない事実として受け止めた。爆心地公園、平和の泉、平和祈念像、浦上天主堂と歩いてから資料館に入ったことで、数字や資料だけでなく、その周辺の場所と結びつけながら考えることができた。平和を願い、他者や他国を尊重して生活していきたいと改めて思った。

帰りも雨が降っていたため、稲佐山温泉ふくの湯まではタクシーで移動し、雨が止むのを待ちながら温泉を楽しんだ。数種類のサウナや岩盤浴があり、設備はとても充実していた。歴史をたどった一日の終わりに、温泉で体を休められたのはよかった。長崎に来たときには、ここも再訪したいと思っている。

その日の最後に食べたのは、長崎駅構内にある蘇州林の皿うどんだった。香ばしい麺に具材とあんが絡み、味の組み合わせが絶妙で、とてもおいしかった。写真で見返しても、エビや野菜などの具材が麺を覆うように盛られていて、食事としての満足感が伝わる一皿だった。

蘇州林の皿うどん
蘇州林の皿うどん

ホテルへ戻る途中には、川越しに出島の屋敷を見ながら歩いた。1636年(寛永13年)、長崎の有力町人の出資によって築造された扇形の人工島で、鎖国下の日本が唯一西欧に開いていた窓口として、約218年間にわたり対外貿易の役割を担った場所である。1922年に国史跡に指定され、1951年以降は復元整備が進められている。川沿いの水面の向こうに、黒い屋根や白い壁の屋敷が並び、現在の市街地の中に歴史的な景観が残っていた。

川辺の出島屋敷
川辺の出島屋敷

眼鏡橋から原爆資料館、平和公園、浦上天主堂を巡り、温泉と皿うどん、出島まで含めて、長崎の近年の忘れてはならない事実と文化、歴史を一日に感じる行程になった。平和について自分で考えたい人や、史跡を歩きながら学びたい人には、雨の日でも時間をかけて訪れる意味がある場所だと思う。

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