タイでこれから数年間過ごす予定があり、バンコクで賃貸契約を結ぶ前にプーケットやサムイ島などタイ南部を巡ろうと考えていた。プーケットへの直行便はなく、成田空港からバンコク経由で向かうことになったため、あまり訪れたことのなかった成田市もこの機会に歩いて回った。
この時期はコロナ禍で、宿泊した成田市のホテルではしっかりとした予防対策が取られていた。最初に成田空港でPCR検査を受け、その後は酒々井温泉へ向かって温泉を楽しんだ。街を行き交う人は普段より少ないように感じたが、温泉でいったん体を休めてから、夕方に成田山公園へ向かった。
成田山公園
成田山公園は、成田山新勝寺の大本堂裏に広がる丘陵地を利用した庭園で、昭和3年(1928年)に完成した。敷地面積は16万5000平方メートル、東京ドーム約3.5個分におよび、龍智池、龍樹池、文殊池という3つの池が配されている。秋の終わりから冬のはじめにあたる時期だったが、園内にはまだ紅葉が残っていた。丸くきれいに整えられた赤茶色の植物や、階段を下りる途中から見えた紅葉が特に印象に残っている。細い水路にかかる色とりどりの葉は、自然の景色でありながら一つの作品のようだった。
龍智池の周辺は人通りがほとんどなく、池の水面と木々に囲まれた静かな空間だった。池にある浮御堂は紅葉に彩られ、公園のシンボル的な撮影スポットとして知られているらしい。橋を渡って近づくと、周囲の木々に包まれた堂の姿がよく見えた。園内には石灯籠も点在し、池や散策路と組み合わさった景観に見ごたえがあった。さらに、西洋庭園の噴水越しに見える平和大塔も迫力がある。平和大塔は弘法大師1150年の御遠忌を記念して1984年に建立された高さ58メートルの仏塔で、外観は二重塔だが内部は5階建てになっている。夕方から夜へ移る時間帯の公園は静かで、散歩をしていても景色の変化があり、飽きることがなかった。

園内の道は、整えられた低木が並ぶ場所から、石や木々の間を縫う階段へと続いていた。鮮やかな赤い葉が残る斜面や、夕暮れの池に映る木立、流れのある細い水辺など、同じ公園の中でも雰囲気が少しずつ変わる。石灯籠の周囲にも赤い紅葉と松が配され、庭園としての細やかな手入れが感じられた。夜も更けてきたため、この日はホテルへ戻って休んだ。






成田山新勝寺
翌日は成田山新勝寺へ向かい、総門や仁王門、三重の塔などを見て回った。成田山新勝寺は天慶3年(940年)、平将門の乱の平定を祈願して寛朝大僧正により開山された真言宗智山派の大本山で、本尊の不動明王は弘法大師空海が自ら彫り、開眼したと伝わっている。初詣の参拝者数が寺院として全国有数ということも納得できるほど、境内は広く、歴史を感じさせる建物が多数あった。
「成田山」と金色で書かれた総門をくぐると、大きな提灯のかかる仁王門が目に入る。提灯には龍や獅子、花などの精巧な彫刻が施されており、階段の上に構える建物の重厚さも印象的だった。境内の建物はそれぞれ装飾が異なり、歩きながら見上げるたびに細部へ目が向いた。

中でも三重の塔は色彩が鮮やかで、境内の中でも強い存在感を持っていた。正徳2年(1712年)に建立された高さ約25メートルの塔で、1980年に光明堂、釈迦堂、仁王門、額堂とともに国の重要文化財に指定されている。極彩色の彫刻や十六羅漢の意匠が見どころとされ、屋根の下や柱の間まで細かな彩色が続いている。正面から見ると三層の均整がよく分かり、近くで見ると装飾の多さに圧倒された。

境内には大きな門や堂が連なり、階段を上り下りしながら歩くことで、寺院の規模を実感できた。金色の装飾や彫刻をまとった門は、木の色が落ち着いた建物とはまた違う華やかさがあり、長い歴史を持つ寺院らしい重みもあった。翌日のフライトが早朝だったため、見学を終えた後は早めにホテルへ戻って就寝した。

成田国際空港
最終日は成田空港へ向かった。通路にはほとんど人がおらず、ラウンジにも誰もいない閑散とした状態だった。広い空間に案内表示だけが目立ち、普段の空港からは想像しにくい静けさだった。飛行機に乗ってからも、搭乗していたのは帰省するタイ人の方くらいだったように思う。

ラウンジは座席や照明が整えられていたものの、利用者の姿がなく、空港全体の静けさがそのまま残っていた。成田市内の観光自体は楽しめた一方で、コロナが街や観光の風景を変えてしまった現状も強く感じた旅だった。再訪するなら、今度は人の戻った成田山と空港の様子も見てみたい。
