到着日の散策
2019年5月、アンマンのJETT Abdaliバスステーションからペトラ遺跡の近くまでバスで移動した。ホテルに着いた後は、遺跡周辺で有名だというSANABEL Sweets and Bakeriesに立ち寄り、翌日の散策に備えて近くの街を歩いた。
SANABEL Sweets and Bakeriesには、さまざまなお菓子がラップでパッケージングされて並んでいた。その中から、ナムーラというケーキを購入した。ココナッツや刻んだピスタチオが上に載っていて、見た目にも中東らしさがある。ホテルに戻ると、ちょうどアラビア風の休憩所があったので、赤い敷物やクッションに囲まれた場所で紅茶と一緒に食べた。味は素朴だったが、ヨルダンらしさを感じられておいしかった。




ペトラ遺跡散策
翌日は朝6時くらいに宿を出発し、ペトラ遺跡の入場口まで歩いてたどり着いた。入口へ続く道には木々や旗、吊り下げられた電飾があり、周囲の岩山とは少し違う整った印象を受けた。遺跡の案内施設としてThe Petra Museumの表示も見えていた。広大な遺跡を歩くことになるので、朝のうちに入場口まで来られたのはよかったと思う。

門をくぐった後、あまり馬に乗ったことがなかったが、馬に乗せてもらい少し高い位置から周囲の風景を楽しんだ。自分が乗った馬とは別に、色鮮やかな布を掛けられた馬が同行する人に引かれて岩の間を歩いている場面も見かけた。遺跡の主要な入口として機能してきたシークへ向かって進むと、道は次第に岩壁に挟まれた細い峡谷になる。シークは全長約1.2kmの狭い峡谷で、入口から先の景色を少しずつ隠しながら続いていく。両側の岩肌は茶色や赤みを帯び、空が細く見える場所もあった。



エル・ハズネから先へ進む途中、カラフルな敷物を掛けられたラクダが休憩していた。ペトラでは馬やラクダが移動手段として行き交っており、岩と砂の景色の中に鮮やかな色が加わっていた。ちょうど区切りのよい場所なのか、ラクダは何頭かまとまって地面に座り、しばらく休んでいるように見えた。

さらに進むと、円形のNabatean Theatreが見えてきた。岩山の斜面を大きくくり抜くように造られた客席と、中央の舞台部分が残っている。ナバテア王国のアレタス4世の時代、紀元1世紀に建てられた劇場で、当初から岩を彫り込んで作られた点がナバテア様式の特徴だという。その後、ローマ支配下で拡張され、最大で数千人規模を収容できたとされる。周囲の岩壁と客席が一体になった構造なので、一般的な石造りの劇場とは異なる見え方だった。

Nabatean Theatreの先では、広大な遺跡の中にGreat Templeの残骸が現れた。1万平方メートルあると言われる場所で、実際の広さは約7560平方メートルとされ、ペトラで最大の独立建造物という。残っている柱や壁、石積みを眺めると、現在は部分的な遺構でも、当初は大きな建物が密集する地域だったことがうかがえる。紀元前1世紀末から紀元1世紀にかけて建設され、宗教施設だったのか、王の迎賓・集会施設だったのか、用途については今も議論があるという。岩山に囲まれた場所に広い建築群があったことを考えると、ペトラが単なる岩壁の墓地ではなく、人が集まる都市だったことを実感しやすい場所だった。

その近くでは、黒と白の子ヤギが仲良く歩いていた。おそらく現地の方の家畜だと思うが、岩石と砂ばかりの環境の中で動物の姿を見ると、張り詰めていた気持ちが少し和んだ。遺跡の建築や岩壁だけでなく、こうした何気ない光景も歩いている間の記憶に残っている。

Great Templeの先は、AlDayrを目指すEd-Deir Trailに入った。岩と岩の谷間にはピンク色の花が咲いていて、かなり久しぶりに花を見た気がした。谷間なので雨が溜まりやすく、草花も育ちやすいのだろうとは思ったが、乾いた岩山の中で花がまとまって咲いている光景は意外だった。道は岩間の細い場所を進むものの、階段などが整備されている区間もあり、思っていたより歩きやすかった。





目的を達成して引き返すと、帰り道の岩場には小屋のようなものもあった。ここを一つの拠点としている人もいるようで、観光客が歩く遺跡の中に、日常的な活動の場があることが感じられた。行きに見落としていた景色を確認しながら戻れるのも、広いペトラを歩く面白さの一つだった。

帰り道の途中では、来た時にはあまりよく見られなかった四角いQasr al-Bint - Temple of Dusharaにも立ち寄った。周囲には崩れた石材が広がっているが、正面の壁や門のような構造は比較的はっきり残っている。さらに、門の数が多いUrn Tombにも上って内部の様子を見た。Urn Tombはペトラの「王家の墓」群の一つで、正面に広い前庭を持つのが特徴だという。紀元446年、キリスト教の広がりとともに教会へ転用されたと伝わっている。内部に入ると、砂が独特に変色していて、岩を掘った空間の中にも長い時間の経過が刻まれているように感じた。




