石垣島での滞在を終え、2019年6月、フェリーよなくにで与那国島へ向かった。4泊5日と余裕を持たせた旅程だったので、到着日はホテルへ直行して体を休め、翌日から島の西側を歩いて回った。
フェリーで与那国島へ
石垣港から久部良港までは、フェリーよなくにで約4時間。定期便は週に数便のみで、悪天候による欠航も多いという。空路では石垣・那覇からプロペラ機が飛んでいるが、今回は船を選んだ。船内は白と青のカラーリングが映え、きれいで広々としていた。船上からは深いブルーの海、街と山のコントラスト、白い灯台、そして少しずつ近づいてくる与那国島の風景が見えた。どの場面も海の色が印象に残り、移動そのものが旅の見どころになっていた。






食後は散歩がてらナーマ浜へ向かった。久部良集落と西崎の間にある小さなビーチで、断崖に囲まれた与那国島では珍しい砂浜の一つだという。白い砂浜と穏やかな海が広がり、周囲の緑との組み合わせも落ち着いて見えた。シャワーや更衣室はないが、集落から近く、海の状態が穏やかなときには海水浴にも向いている。私はここでしばらく海を眺めながらくつろぎ、その後、日本最西端の地へ歩みを進めた。

途中には、カジキマグロのかわいらしいモニュメントがあった。大きな魚体をかたどった像で、青空と草地を背景に立っている姿が少しユーモラスで、歩きながら見つけたときは心がほっこりした。久部良漁港周辺は黒潮に恵まれたカジキの好漁場で、例年7月には「日本最西端与那国島国際カジキ釣り大会」が開催される。トローリング、磯釣り、親子釣りの各部門があり、闘牛大会や伝統芸能の披露も行われる、島が最も賑わう催しの一つだという。訪れたのは6月だったため大会の時期とは重ならなかったが、モニュメントからもこの島とカジキの結びつきが伝わった。

さらに進むと、先ほど通ってきた漁港を一望できる場所があった。港の奥行きや防波堤の形、周囲の山と集落の位置関係がよく見え、地図で見るよりも地形を実感できる展望だった。海沿いの景色だけでなく、港を中心に島の暮らしが広がっていることも感じられた。

日本最西端の碑をめざして
西崎には「日本國最西端之地」の碑が立っている。これまで最北端と最東端には行ったことがあったので、ここで三つ目になったことが少し感慨深かった。碑の周囲には黒い岩が並び、背後には草地と空が広がっていて、端の場所らしい開けた印象がある。西崎は北緯24度26分58秒、東経122度56分01秒に位置し、標高50m以上の断崖には灯台と展望台がある。晴天時には約107km先の台湾を望めるという。
ちょうど訪れた2019年6月は、国土地理院が2万5千分の1地形図の改訂にあわせ、実測上もっとも西の地点を西崎から北北西沖約260mの岩「トゥイシ」に変更した月でもあった。ただしトゥイシには上陸手段がなく、与那国町は観光上の最西端を従来どおり西崎としている。そうした変更の時期と同じ月にこの碑を訪れたことも、後から振り返ると印象に残っている。

金刀比羅宮鳥居と久部良バリ
帰りぎわには金刀比羅宮の鳥居を見た。砂浜にかなり近い場所にあるため、潮風や海の影響を受けたのか、鳥居はだいぶダメージを受けていた。それでも、砂浜と鳥居が一緒に見える風景には沖縄らしさがあり、自然の中に残る素朴な信仰の場所として目に留まった。

夕方には、夕日を見に行く途中で久部良バリにも立ち寄った。久部良港東側の高台にある岩の裂け目で、全長約15〜20m、幅約3〜5m、深さ約7〜8m。国指定名勝「久部良バリ及び久部良フリシ」の一部である。琉球王府時代、人頭税に苦しんだ島民が人口増加を抑えるため、妊婦にこの断崖を飛び越えさせたという伝承が伝わっている。飛び越えられても流産を免れなかったとされ、現地の説明板でも伝承として紹介されていた。この島に来るまで知らなかった悲惨な歴史だったので、景色を見たときの驚きは大きかった。人頭税が廃止されたのは明治36年(1903年)だという。

日本最後の夕日が見える丘
そのすぐ近くにある「日本最後の夕日が見える丘」へ向かうと、ちょうどよい日暮れ時だった。与那国島は日本最西端にあるため、国内で最後に夕日が沈む場所でもあり、日没時刻は東京より1時間半ほど遅い。高台からは西崎や久部良集落を見渡せ、天候によっては夕景の先に台湾が見えることもあるという。実際に見た与那国の海とその先の日没は神秘的で、いつまでも眺めていたい気持ちになった。

